ふたりの娘。二匹のメス猫。そして発達障害気味の夫。帆の街での「ごく普通の家族」のごく普通の一日はきょうもボチボチと暮れていきます。

心が折れる

ロンドンオリンピックが開催されていますね。




我が家は家族全員が運動音痴で
自分でスポーツをしないだけでなく、観るほうにもとんと興味がなく




オリンピックの開会式がいつなのかも知らなかったというくらいですが




開催中となると、友人との雑談の話題もテレビの番組も
オリンピックが中心になってきて、さまざまな情報が嫌でも入ってきます。




毎朝オンラインでチェックする朝日新聞の記事も
トップ記事は大体がオリンピック関連で
見出しにつられてつい記事本文も読んだりして




このところのスポーツ関連の情報摂取量は
ふだんの三倍強くらいかも。




そんな中、ふと気になった日本語表現




            心が折れる




なんか、最近、正確にいうと、この一週間くらいの間に
この表現を目にすることがすごく多くなったような気が。




意味はすぐ分かります。
張り詰めていたものがポキッと折れるような
気持ちが挫けてしまうような
そんな感じかな?



でも、これは、たとえば小説などでお目にかかるのではなく
テレビや雑誌、週刊誌の類でよく使われる表現のような気がする。




つまりは、流行語





わたしの耳にはとても新しい響きを持つ言葉です。




でも、NHKの「ことばおじさん」では、すでに2010年に
「新しい表現」としてこの「心が折れる」を取り上げていました。




わたしが気づいたのは2012年(というか、先週あたり)
2年も遅れてしまっている・・・・・・




「ことばおじさん」によれば、この表現自体は新しいものではなく
江戸時代後期にもすでに使われていて
「相手の意に沿って気持ちを曲げる(つまり妥協する)」
というような意味だったそうです。





心が挫けそう、というときに使うほうがぴったりな気がしますけど。





              言葉は生き物





今はまだ「はやり言葉」の範疇にあるのかもしれないこの表現も
(国語辞典には「気持ちが挫ける」という意味では載っていないそうです)





いつかは「正式な言葉」として
広辞苑や大辞林にちゃんと項目が作られるようになっていくのでしょうね。






「流行語」を使うのに抵抗を感じるお年頃になってしまったわたしとしては
日常会話や手紙などで「心が折れる」という言葉を
実際に使う日が来るとは思われないのですけれど。




この表現は嫌いではありません。