ふたりの娘。二匹のメス猫。そして発達障害気味の夫。帆の街での「ごく普通の家族」のごく普通の一日はきょうもボチボチと暮れていきます。

日本語を学ぶこと

 今日は二人の娘が通う日本語補習学校の面談でした。長女は6歳から通い始めて今年で10年目、次女は5歳から始めて5年目です。
 補習校は日本人学校とは違って全日制ではなく、現地校の授業が終わってから授業を受けます。塾みたいなものですね。日本人学校に通っていれば日本語で日本と同じ授業をし、現地校での授業も受けないわけだから、ある意味では楽ですよね、子供も親も。補習校の場合は現地校が終わってから子供を補習校に送って行き、授業が終わればまた迎えに行き、と親の負担も大きいし、現地校での勉強に加えて日本語の勉強をする子供たちもかなり大変だろうと思います。
 でも私、娘たちにはどうしても日本語を勉強しておいて欲しいんですよね。私の英語がいまひとつあやしいので、このままでは娘たちとのコミュニケーションがうまくとれなくなってしまうという現実的な問題だけが理由ではなく、この子たちは日本人でもあるのだ、という強い気持ちが私の中にあるせいです。「自分は何者であるのか」というアイデンティティの問題に言葉は大きく関わっています。
 子供たちはこの国で生れてこの国で育っていくんだから、日本語など必要ない、という日本人の親も少なくはありません。実際、英語が達者に喋れればこの国に暮らすのに何の不自由もないですからね。子供たちも英語オンリーで育ち、周りの友達たちと同じように英語で考え、英語で語り合い、自分がアジア人であるという意識はほとんどゼロの状態です。でも、周りの人たちは言うんですね、「あぁ、あなたはアジア人ね」と。英語を話しそうな顔はしてませんからねぇ。そして、自分は周りのブルーやグリーンの目をした友達と同じだと思っていた子供は「じゃあ、自分はなんなのだ?」という疑問にぶつかってしまうのです。
 "Where are you from?"(どこの出身?)という質問はいたるところで訊かれます。うちの娘たちはあっけらかんと"Japan!"と答えていますが、何と答えていいのか分からずに途方に暮れたような顔をしている日本人ハーフの子を見たことがありました。彼女も英語オンリーのほう。自分は日本人だとは思っていないのに、周りから「あなたは日本人でしょ」と言われ、自分は何者なのだろうと不安になっている様子がうかがえて、なんだかかわいそうなほどでした。
 うちの娘たちにはそういう気持ちを感じてほしくない。ホントに。
 それに英語と日本語の両方が、話すだけでなく読み書きも含めてじょうずにできるのであれば、将来いろいろと便利ですよね。人生の選択肢が増えるというか。親としては子供に一つでも多くの選択肢を作っておいてあげたいと思うのです。そこからどれを選ぶかは子供たちの自由。自分は一生この国で暮らすのだから日本語はいらないと娘が決めたなら、それもよし。
 もっとも日本に里帰りするたびに日本のテレビの面白さ、食事のおいしさ、お菓子や文房具などの種類の多さと品質の良さ、などなど、日本のいいところばかりを目にしている娘たち、いつかは日本で暮らしたいと、補習校の授業も喜んで受けております。