ふたりの娘。二匹のメス猫。そして発達障害気味の夫。帆の街での「ごく普通の家族」のごく普通の一日はきょうもボチボチと暮れていきます。

新聞を読もう

この1月の日本滞在中



テレビや新聞や雑誌やその他のいろいろな媒体から
毎日発信される情報の
その膨大な量に圧倒され
頭がクラクラしちゃいそうだワと感じたものでした。



情報の量が半端じゃなく
しかも玉石混合とでもいうか、
情報の質はみごとに千差万別



ドドド〜ッと押し寄せてくる情報の
どれが自分にとって必要なものなのか
その見極めも簡単ではなさそうで



これはよほどしっかりと足を踏ん張って体勢を整えていないと
押し寄せてくる情報の波に流されてしまうゾ、と。



翻って
ニュージーランド



静かです。



日本にいたときは
常にわたしの頭の周りを渦巻いていた(ように思えた)情報の波の音が
ここでは聞こえません。



だから逆に
情報が必要なときは
こちらからそれを探しに行かなくてはなりません。



その分
情報の取捨選択が楽
始めから必要な情報だけを探しに行くのだから。



……と思っていましたが
それはわたしの勝手な思い違いだったと最近気づきました。



我が家では新聞の購読をしていませんでした。



新聞はスーパーやガソリンスタンドやデイリーと呼ばれるコンビニや
とにかくいたるところで簡単に手に入るので



欲しいなと思ったときに買うだけで
毎日配達してもらってはいませんでした。



それが、共同購入サイトのグラブワンで
全国紙ヘラルドの土曜版「ウィークエンド・ヘラルド」と
日曜版「ヘラルド・オン・サンデー」の6か月分の割引購読チケットが出ていたので
2月から購読を始めました。



そうして
毎週じっくりと新聞を読んでみると



いろいろな情報が盛りだくさんではありませんか。



ニュージーランドでは情報が発信されていないのではなく
わたしがそれを知らなかっただけだったのですねぇ、
ちょっと恥ずかしいことに。



考えてみれば
我が家ではテレビニュースも観ません。



夜のニュースの放送時間が
夕飯の支度時に重なってしまうのと



1時間の番組のうち
30分くらいはスポーツ関連のニュースばかりなので
運動音痴一家のわたしたちにはおもしろくない
という理由で。




新聞も読まず、テレビニュースも観ず
それでも日常生活に
大きな支障はありませんでしたけれど




情報の存在に気づき、その内容を知ってみると
いろいろな新しいことが見えてくる
そんなふうに感じています。




日本にいたときは
嫌でも耳や頭に飛び込んできた情報
それはたぶん、情報が日本語だったからでしょう。



日本語の会話なら
ぼんやりしていても頭に入ってきます。



でも、英語は
聞こうと意識していないと
ただの「音」になって頭の中を通り抜けていってしまうのです。




言葉という要素のせいで
ニュージーランドに暮らしている間は
アンテナをきっちり立てて構えていないと
情報はキャッチできません。




土曜版の「ウィークエンド・ヘラルド」は
日本の新聞の5倍くらいのボリュームがあり



ビジネスやスポーツや娯楽や
すべてに関係する1週間の出来事が網羅されています。



これをすべて読むのには
正直なところ、かなりの時間と労力が必要なのですけれど




今わたしの周りを飛び交っている情報を
見過ごしてしまわないために




           新聞を読もう




を今年の合言葉にしてみようっと。




         今日のヘラルドの一面


        



この年配の男性が誰なのかも、私は知りませんでした。
何をした人?