ふたりの娘。二匹のメス猫。そして発達障害気味の夫。帆の街での「ごく普通の家族」のごく普通の一日はきょうもボチボチと暮れていきます。

あと、何年?

人生の折り返し点をとうの昔に過ぎて
今まで生きてきた時間よりも
残された時間のほうがずっと少なくなった
そういう年頃のわたし。



最近は
長期の計画を立てようというときには決まって
わたし、この先どのくらい生きるんだろうか、と
迷いやためらいを(ほんの一瞬ですけど)感じてしまいます。



たとえば、猫




小さい頃から猫がいるのが当たり前の環境で育ったせいで
ニュージーランドに来てからも
自分の猫を飼うのがずっと夢だったので
やっとのことでJBがウンと言い
猫が飼えることになったときは、それは嬉しくて
それこそ、後先考えずに、という感じで決めてしまったけれど



猫の寿命は15年くらい?
もしかしたら、わたしとあの子たち
いっしょにイーデン・ガーデンに行くことになるかも?
(イーデン・ガーデンとお墓についてはこちらを)



まさかそれはないにしても
メイとハルのあとにまた子猫を引き取ることにしたら、
今度は絶対わたしの方が先に逝くことになるはずだから
最後まで責任をもてないのではペットは飼いたくない。



とすれば、あの二匹はわたしの最初で最後のペット



それから、梅



ここ数年、南島の農家から青梅を友人と共同購入しています。
こちらの梅干の仕込み時期は1月
日本のように湿気がないのでカビを心配する必要もなく
結構おいしい梅干と梅酒を思ったより簡単に漬けることができました。




去年、今年と2年続けて1月にオークランドを離れていたので
今度の夏は久しぶりに梅干を作ろうと張り切っていたのですが



なんと、先週、10月の遅霜で梅が全滅してしまったと
梅農家から連絡が入りました。



実は、一昨年まで梅を頼んでいたのは別の農家で
その農家が果樹園を売って廃業してしまったので
(果樹園を買った開発業者が梅林をつぶして宅地にしてしまったと
聞いた我々は大いに怒りましたが……ニュージーの人にとっては
青梅はな〜んの価値もありませんです)



今年は、もう一軒残った農家に早くから予約を入れていたのですが。



ニュージーランドで日本の梅を栽培しているのは
今ではその農家一軒のみです。


今年も手づくり梅干はあきらめなくてはなりません。
来年に期待したいところですが
なにしろ梅を買える先が一軒しかないのですから、どうなることやら。



こういう状況に危機感を感じた(?)仲間の一人が
ならば、自分たちで梅を育てようと言い出しました。
どうやら梅の苗木がどこかで手に入るらしい。



果たしてオークランドの気候で梅が育つのか
侃々諤々やっているときに、ふっと思ったのです。



梅が育って
みんなで梅干や梅酒が作れるくらいの実が収穫できるまで
何年待てばいいのだろう?



そのときわたしは、まだ生きているのだろうか?



柚子の種を蒔いてみようかな、と思ったとき



桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年


というのを知ってあきらめたわたしですから。



あまり長い先は、もう見つめることができなくなっています。