時をかける少女
オークランド大学での日本映画上映会、9月はアニメ版の「時をかける少女」で、家族4人で行ってきました。
筒井康隆の小説『時をかける少女』は私にとってはとても懐かしいもの。NHKのドラマ「タイムトラベラー」(主演の浅野真弓さんがすっごく可愛かった)を見て感動し、本屋に原作を買いに走り一気に読んだ記憶があります。
大学時代、学食のパンコーナーにケン・ソゴル(役の俳優)にそっくりなバイトのお兄さんがいて、友だちとのぞきに行ったりしたものでした。
原田知世主演の映画版も観ましたが、その時は私は既に大人になっていて、ケン・ソゴル役の新人俳優の大根役者ぶりばかりが印象に残ったのみでした。
さて、現代版「時をかける少女」の主人公・真琴は、偶然手に入れたタイムリープする能力をあっけらかんと使い放題。でも、自分に都合よく過去を書き換えてしまったしわ寄せが周りの人たちに及んでいることに気づいてショックを受け、また、本来なら知るはずのないことを知り、さらに知っていることを隠さなければならないことから起こる気まずさや戸惑いを経験して、元気だけが取り柄のような能天気少女の心はざわざわと波立ってきます。
そこへ親友千昭の
「おまえ、タイムリープ、してね?」
の問いかけ。
ここでやっと私は「あ〜、千昭がケン・ソゴルで功介が吾朗ちゃんなのね」と気づいて原作の基本的な設定はそのまま使っているのだと理解できた次第です。
原作ではケン・ソゴルは人々の心の中から自分の記憶をすべて消し去って未来へ帰っていきます。それでも主人公和子(アニメ版では真琴の叔母さんという設定になっているようですが)の心の中には消え残った何かがあって、それが小説を読み終えた後に甘酸っぱい思いとして残りました。アニメ版では千昭は真琴に「未来で待ってるから」なんて言い残していきます。待ってるからって、どうやって行くっていうのよ、と突っ込みたい気分でしたが。
千昭と功介との微妙な友情や真琴の揺れる乙女心を理解するには我が家の娘たちはまだ少し幼すぎたようで、ストーリー展開のテンポが速くコンピューターゲームの格闘シーンなどがある「サマー・ウォーズ」のほうがおもしろかったと言っていました。あぁ、やっぱりね、とちょっとだけ安心したのは何故でしょう?